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宮崎地方裁判所日南支部 昭和44年(わ)1号 判決 1969年5月22日

被告人 山口昌子

昭一八・五・二六生 無職

弓削静彦

大九・一一・五生 病院長

主文

一、被告人山口を禁錮四月に処する。

ただし、本裁判確定の日より一年間右刑の執行を猶予する。

一、被告人弓削を懲役一月に処する。

ただし、本裁判確定の日より一年間右刑の執行を猶予する。

被告人弓削は本位的訴因第一および予備的訴因第三の事実につき無罪。

理由

(罪となるべき事実)

第一  被告人山口は、昭和四〇年四月一日より宮崎県日南市大字平野三、八六四番地所在の同県立日南病院に看護婦として勤務し、約三年間内科病棟に配置された後、昭和四三年四月一日より小児科、産婦人科を除く他の全科が混合している第七病棟に配置換となり、傷病者等に対する療養上の世話又は医師の指示を受けて診療の補助をすることを業としていた者であるが、右配置換を受けてより二五日目である昭和四三年四月二五日、右第七病棟婦長増田スミエ看護婦から同病棟入院中の全患者に対する一般の注射、検温、投薬を当日の分担業務として指示され、これに従事していたところ、同病棟では同日午後一時三〇分に執刀予定の斜視手術患者津曲勝義(当三年)が入院しており、この手術には特別に手術前処置として一二〇分前にネンブタール五〇ミリグラム、六〇分前にスコポラミン〇・一二五ミリグラムのそれぞれ基礎麻酔薬を筋肉注射するよう麻酔医星子哲彦から術前術後処置書によつて指示されていたので、右増田婦長は同病棟の永年勤務者でネンブタールの注射経験のある看護婦岩切利子にこの基礎麻酔薬注射の担当を命じ、カルテと右術前術後処置書を手渡し、その際右処置書に記載されているネンブタール五〇ミリグラムが何ccになるか不明であつたので、この点をよく確め、かつ確めた結果を同病棟看護婦詰所処置室の黒板に前日準夜勤看護婦長友喜代子がすでに掲載済の「津曲氏、一三時三〇分眼科手術、一一時三〇分ネンブタール五〇ミリグラム、一二時三〇分スコポラミン〇、一二五ミリグラム」の「ネンブタール五〇ミリグラム」の下に付加して記載しておくよう特に指示したにもかかわらず、右岩切看護婦は、手術室において同室勤務の主任看護婦井野佳子から五〇ccのネンブタール容器を受け取つた際、同人に五〇ミリグラムが何ccになるかをたづねてもわからず、第一病棟婦長石崎看護婦にたづねて、さらに同婦長の注意で同病棟看護婦詰所の表示によりネンブタール五〇ミリグラムが一cc中に含まれていることを確認しておきながら、これを右増田婦長の指示にある黒板への付加記載を怠り、ネンブタールの注射時間である同日午前一一時三〇分の直前になつて、第七病棟看護婦詰所で右増田婦長から右注射時間の到来したことを注意されるや、たまたま同室にいた被告人山口に対し「一一時半になつたので、津曲さんに注射して下さい。」と依頼した。この場合、岩切看護婦としては、たとえ一般の注射については看護婦間で互に依頼し合う慣行があつたとしても、本件のネンブタールは劇薬の麻痺薬であるから、これの注射を他の看護婦に依頼すべきものではなく、仮に依頼するとしても、ネンブタール五〇ミリグラムの量については増田婦長、井野看護婦といつた上司においてすら前記のとおり知らないことであり、特に増田婦長からその確認方と黒板への明記方を指示されていたのであるから、右明記を怠つている以上、特に依頼する看護婦には確実にかつ正確にネンブタール五〇ミリグラムが一cc中に含まれていることを伝える義務があるのに、これを全くせず、また同病棟看護婦詰所の黒板には前記のとおり要点の記載がなされているにしても、術前術後処置書に指示された筋肉注射の点は記載洩れになつているのであるから、依頼する看護婦に右処置書を渡すか、あるいは筋肉注射であることを伝える義務があるにもかかわらず、これもせず、被告人山口のネンブタール容器の所在場所の質問に対し「ジヤーの中にある」と答えたのみで、さらに同被告人の量についての「五〇ミリ全部ね」という問いに対しても「うん」と答えてなんらそれ以上の説明をしなかつた。被告人山口は岩切看護婦の右注射依頼を引受け、右黒板の記載をみてネンブタールの注射をしようとしたのであるが、普通黒板に要点の記載がなされている場合には術前術後処置書の作成は必ずしもなされないのであり、しかも岩切看護婦からは右のとおりなんの説明も受けないのであるから、同被告人が右黒板の記載によつて注射を施そうとしたことはやむを得ないとしても、当時同被告人は第七病棟に配置換になつて日が浅く、ネンブタールなる麻酔薬を注射したことが一度もなく、したがつてネンブタール五〇ミリグラムが何cc中に含まれているかを全然知らなかつたのであるから、同被告人としてはネンブタール五〇ミリグラムが何ccになるかを依頼者である岩切看護婦に十分に問いただし、これを正確に確認してから注射するようにし、いやしくも麻酔薬過量投与による生命身体の危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、ネンブタール容器が「五〇ミリリツトル」と表示された大きな器であつたため、量について疑問を持ちながら、あいまいな表現の「五〇ミリ全部ね」という問い方をしたため、前記のとおり岩切看護婦の不注意な返答を受け、この返答だけで容易にネンブタール五〇ミリグラムは五〇ccの中に含まれているものと速断してしまい、さらに注意してみれば、右容器のラベルには「五〇mg/ml」の表示があつたのであるから、仮に解読し得ないとしても、これを手掛りにさらに確認することができたのに、これを怠り、右安易な速断に基づき、右容器に入つていた約四八ccのネンブタールを全量五〇cc用の注射器にすいとり、同日午前一一時四〇分ごろ、第七病棟七〇一号室において、前記津曲に対し、その左腕正中静脈から右注射器をもつてネンブタールを静脈注射し、約二、三分間という短時間に約一五ccという多量のネンブタールを静脈内に注入したため、直ちに右津曲をして呼吸麻痺を起させ、翌二六日午前九時二〇分ごろ同病院手術場回復室において、右急激かつ多量の麻酔薬投与による呼吸麻痺、これに基づく心臓停止により同人を死亡するに至らしめたものである。

第二  被告人弓削は、昭和四〇年四月一日より同病院の院長の地位につき、病院の管理者としてその事務を掌理し、同病院に勤務する医師、看護婦等を指揮監督するものであるが、前記第一の事件につき日南警察署が捜査を開始し、昭和四三年四月二六日午前一一時ごろから同署勤務の宮城県警部岡本衛他五名の司法警察職員が同病院に赴き、事件に関係ある医師、看護婦からの事情聴取その他の捜査活動をしている際、この死亡事件が右管理監督下の看護婦のネンブタール過量投与によるものであることをすでに熟知していた被告人弓削は、右過量投与の事実を秘匿しようと企て、まず自らは警察官の取調べに対して「注射量が多かつたのはブドウ糖を何本か混ぜたからだと思う」と述べ、ついで第七病棟看護婦詰所に赴き、吉田総婦長、増田婦長、岩切看護婦等に対し「山口看護婦には医師の指示どおりネンブタール一ccをすいとつてこれを蒸溜水で薄めて注射したようにいうようにいつておきなさい。又皆もそのつもりで歩調を合わしてくれ。」と申し向けた後、

一、同日午後〇時四〇分ごろ同病院医局室において、麻酔科医長であり外科医長である中村康広に対し、右看護婦等に対する工作の事情を説明し、同様に工作することを決意した同人から被告人山口が使用した注射器およびネンブタール容器について「保管してあるものはどうしましようか」と相談されたのに対し「捨てなさい」と答えて、ここに両名共謀の上、右中村において、同病院手術場に勤務する前記井野佳子看護婦に対し電話で「ネンブタールの入つている注射器は中味を抜いて処分して下さい。またネンブタールの瓶はもとのところに置いておくように。」と申し向けて、これらが被告人山口のネンブタール過量投与に使用された器具容器であることを熟知していた同看護婦をしてそのようにこれらを隠匿廃棄するよう決意させ、同看護婦において、同日午後一時ごろ、右手術場で、看護婦久保田禎子に五番手術室戸棚から同所に保管中の右ネンブタール入り注射器およびネンブタール五〇cc用空瓶を出させ、右空瓶は自ら同手術場の保存冷蔵庫に格納して隠匿し、右注射器は右久保田をして同手術場流しにネンブタールの残液を廃棄させ、かつ水洗いの上同病院中央補給室備付の注射器の混載するステンレス台に返却させて隠匿し、よつて右井野看護婦の証憑湮滅変造行為を共謀教唆し、

二、さらに、右中村医長において、前記井野看護婦への電話指示直後の同日午後一時過ごろ、同病院外科外来診察室で警察官の事情聴取を受けていた外科麻酔医星子哲彦を電話で前記医局室に呼び出し、すでにある程度前記工作を察知していた同人に対し、被告人弓削から前記のとおり看護婦達にはネンブタール一ccを蒸溜水で薄めて注射したように言わせるようにしていることを説明し、さらに「同じサイズのバイヤル(容器)を用意していくらか液を抜き、山口看護婦は一ccしか使わず、それを薄めて注射したようにしたいから、そうしてくれないか。」と相談し、右星子はこれに同意して、ここに三名共謀の上、右星子は直ちに前記五番手術室に赴き自分の保管しておいた前記被告人山口使用にかかる注射器およびネンブタール五〇cc用容器のないことを確認して、再び右医局室に帰り、右中村医長に対し「ネンブタールの在庫はないが請求しているので持つてくると思う。」と申し向けた後、約一〇分後の午後一時半ごろ同医局で同病院薬局長湯屋から二〇cc入りのネンブタール容器一瓶を受取り、直ちに隣室の救急室で一〇cc用の注射器を使つてこれから約九ccのネンブタールを抜き取り、残り約一一ccのネンブタールにして、これを前記五番手術室戸棚に置き、これがあたかも被告人山口使用にかかる前記ネンブタール容器であるように偽造し、そのころ同手術室で司法巡査日高生津夫に対し「被告人山口が使用して残つたネンブタールの容器はこれでした。」と右偽造にかかる二〇cc用の容器を提示してこれを使用し、もつて証憑偽造使用し

たものである。

(証拠の標目)(略)

二、被告人弓削については、同一事実について、本位的訴因として証憑湮滅教唆が、予備的訴因として証憑湮滅の共謀共同正犯が、それぞれ公訴提起されているが、公訴事実の認定にあたり、共謀の事実が認定される限り、教唆ということはもはやこの中に包摂される事実関係となるから、公訴事実の認定としては、右請求の順序にかかわらず、まず予備的請求事実の存否を認定してから、ついで本位的請求事実を認定するという形にならざるを得ない。

(被告人弓削に対する本位的訴因第一および予備的訴因第三について)

被告人弓削については、その本位的訴因第一および予備的訴因第三において、それぞれ星子医師の警察官に対する虚偽供述を教唆又は共謀したとして、証憑湮滅教唆又は証憑湮滅の共同正犯が公訴提起されているのであるが、刑法第一〇四条にいわゆる「証憑」とは、刑事被告事件の発生した場合捜査機関又は裁判機関が国家刑罰権の有無を判断するに当り関係ありと認められる一切の資料を指称するものと解すべきであり(大審院昭和一〇年九月二八日第三刑事部判決刑集一四巻九九七頁参照)、したがつて、その証拠価値の如何を問わず、物証のほか証人、参考人等の人証を含むものと解すべきであるが(大審院明治四四年三月二一日第一刑事部判決刑録一七巻四五五頁参照)、その人証の証言ないし供述が右「証憑」の中に入るかどうかについては、偽証罪を規定する刑法第一六九条あるいは証人威迫罪を規定する刑法第一〇五条の二等との関連において考察してみる必要がある。

しかして、大審院昭和九年八月四日第三刑事部判決(刑集一三巻一〇五九頁)は、「他人ノ刑事被告事件ニ付証人カ法律ニ依リ宣誓ヲ為シタルト否トヲ問ハス判事ニ対シ虚偽ノ陳述ヲ為シタル場合ハ勿論同人ヲシテ右ノ如ク虚偽ノ陳述ヲ為サシメタル場合ノ如キハ共ニ刑法第一〇四条ヲ以テ処罰スヘキモノニ非スト解スルヲ相当トス」としているのであり、この判例は、刑法第一〇四条と刑法第一六九条との関係を、両者が法条競合の関係にたち後者が前者の特別法になるとはみず、宣誓の有無を問わず偽証は刑法第一〇四条の適用外であるとしているのであるから、両者は択一関係にたつものとみていると解すべきである。ちなみに、偽証の罪を犯した者でもその証言をした事件の裁判確定前に自白した場合には、刑を減軽又は免除される規定(刑法第一七〇条)があるのに、証憑湮滅にはかかる趣旨の規定がないから、もし右「証憑」に人証の証言ないし供述を含むとすれば、より重い可罰行為たる偽証罪を犯した者が自白により刑の減軽・免除を受けられるのに、より軽い可罰行為たる証憑湮滅罪を犯した者にはかかる法律上の減軽・免除を受けられないという不合理な不均衡を生ずることになる。さらには、自己又は他人の刑事被告事件につき捜査もしくは裁判に必要な知識を有している者に対する強談威迫の行為については、証人威迫罪として別に刑法第一〇五条の二が規定されているところ、この強談威迫の行為には虚偽の供述を強制する行為を含むと解すべきであるが、その法定刑は証憑湮滅罪に比して軽いものであり、このことは、単に虚偽の供述を求めたのみでは可罰的ではなく、それに強制の要素が加つて始めて可罰的たり得ることを意味しているものと解すべきである。以上の考察からして、刑法第一〇四条にいわゆる「証憑」とは、物理的な存在であることを要し、したがつて人証の証言ないし供述はこれに含まれず、よつて人証の虚偽供述は右「証憑の偽造」にならず、また人証の虚偽供述という行為は証憑湮滅罪の行為類型に入らないものと解すべきであるから、虚偽供述の教唆もまた「証憑の湮滅」にならないといわなければならない。よつて、被告人弓削の星子医師に対する虚偽供述の教唆又は共謀の所為は罪とならないものというべく、したがつて同被告人は本位的訴因第一および予備的訴因第三につき無罪と認定する。

(法令の適用)

被告人山口の判示第一の所為は、刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で同被告人を処断するに、前記判示のとおり本件致死事件はひとり被告人山口のみの過失によるものではなく、岩切看護婦との過失競合によるものであるから、この過失の度合その他の情状を考慮し、被告人山口を禁錮四月に処し、同被告人は本件発生後日南病院を辞し、深く謹慎の生活を送り、本件の過ちを将来の献身的な看護活動で償いたいとの真摯な自省の情あるを認め、刑法第二五条第一項第一号により本裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予することとする。

被告人弓削の判示第二の一の所為は刑法第六一条第一項、第六〇条、第一〇四条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、判示第二の二の所為は刑法第六〇条、第一〇四条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号にそれぞれ該当するので、各罪につき所定刑中懲役刑を選択し、これらは刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条、第一〇条により犯情の重い判示第二の一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を処断するに、同被告人の所為は、判示のとおり主体的に証憑湮滅偽造を工作したものであり、共犯者たる下僚の医師も本来は本件証拠物を慎重に保存しようとしていたのを、上司の立場からこれの廃棄湮滅あるいはあらたな虚偽証拠の作成を指示し、あるいは増田婦長、被告人山口といつた看護婦等は事の重大さにむしろ積極的に真実を供述していこうとしていたのを、敢えて虚偽の供述をするよう命じたのであつて、その行為は、およそ人の生命身体をあづかりその治療を果すことを本分とする医師のいやしくもなすべきことではなく、まして県立病院長という重責を果すべき地位にある者の断じてなしてはならないことであるから、その証拠を湮滅偽造しようとした本事件が人の生命を奪うという重大な結果であつたことと併せて、同被告人の本件所為はきびしく責められなければならない。ただ、同被告人は永年外科医師としてあるいは大学ならびに病院関係者としていくたの業績を残してきた事情その他を考慮するとき、最低限の短期刑をもつてこれを処断するを相当とすべく、よつて被告人弓削を懲役一月に処し、ただし諸般の情状を考慮して刑法第二五条第一項第一号により本裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予することとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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